2008年01月15日

『魍魎の匣(もうりょうのはこ)』観ました

見終わった最初の感想は、京極作品の完璧な映画化には少なくともあと10年はかかるだろう、というものだった。

『姑獲鳥の夏(うぶめのなつ)』の映画化で失望感を味わされていたのでハナから期待はしていなかったが、やっぱりというか案の定というか・・・、残念としか言いようがない。

京極ファンの間では、原作と映画は別物と考えれば楽しめますよ、という心優しくオトナの意見も多数あったものの、私は狭量でコドモなのでそうは言えない。

原作派にとって、この作品は時間と金の無駄遣い、とあえて言いたい。

(以下ネタバレ)まずは、キャラクターの、原作との耐え難い乖離。

コミカルな京極堂を期待したファンはいるだろうか?

鬱でなく(むしろ躁)、京極堂より能弁な関口を観たいと思った読者はいるだろうか?

ミーハーで底の浅い木場修に会いたいと言う者はいるだろうか?

原作派にとってはどれも耐え難いことではないだろうか。これらを是とする読者であれば映画も楽しめるだろう。私には無理だったが。

次に、物語の解体及び新造。

オリジナルストーリーを知っている者には不満、オリジナルストーリーを知らない者には理解不能。
そんな映画の価値はどこにあるのか?結局つまるところ、駄作のレッテルをはられるのが関の山ではないのか。

最後に音楽。
シーンとそぐわない音楽のオンパレード。要所要所に流れる音楽はストーリーにはふさわしくないものが多く、映画を観る集中力の邪魔以外の何ものでもなかった。
極めつけは、エンドロールで流れる東京事変の「金魚の箱」。「はこ」つながりだったというシャレはしゃれにもならない。(ちなみに私は椎名林檎、東京事変のファンであるが)

以上が、私が本作を駄作と思う根拠である。


しかし、期待を外れた良い結果もあったことも追記したい。

まずは、榎木津(阿部寛)。前作より、原作に近いイメージを実現できたと思う。期待以上の好演だ。

そして、久保竣公役の宮藤官九郎。正直なところを言えば、クドカンは脚本家、ミュージシャンとしては評価していたが、役者としてはインパクトに欠ける中途半端な存在だと思っていた。しかし、本作の久保役は鬼気迫るものがあった。見事な演技だと言えよう。本作のMVPと言っても過言ではない。


以上が私の感想である。

要は、原作派には憤懣やるかたない出来であるし、未読派にはわけのわからないグロテスクな物語であるので、いずれにしてもオススメできないと言うことだ。

特に、映画『姑獲鳥の夏』で不満を抱いた原作派の方はDVDで十分であると思う。


個人的なことになるが、次作『狂骨の夢』(映画化されるかどうかはわからないが)は恐らく私はDVDで観ることになると思う。
京極作品を映画化するには、まだまだ日本映画は力不足としか思えない。

むしろ、古谷一行の金田一シリーズのように、11回前後のTVドラマ化するほうが原作に忠実に映像化できるかもしれない。
posted by gary87 at 22:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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